バンクーバーでの仕事探し体験や教わった就活・職探しのコツ等、スキルワーカー移民のカナダ移住準備に役立つ情報を書き留めてます。


by workincanada

日系カナダ人の歴史とオバサン(OBASAN)

falls_niagaraさんからもらったコメントのリンクをたどってサイトを覗きに行ったら、つい最近読んだ本のことを書かれてて、すごく共感を覚えました。
その本は、日系カナダ人ジョイ・コガワが書いた「OBASAN」。第2次対戦中の日系カナダ人の財産没収、強制収容所生活の悲哀が書かれてます。

で、当時の日系人が強制収容所(detention camp)に移送される時の記録写真:
強制収容所に送られる日系カナダ人

カナダ移民局が移民の歴史を簡単にまとめたサイトを用意してますが、この写真はそこで見つけました。
 →"Forging Our Legasy"

(長いので関心のあるかただけ続きをどうぞ)




歴史や事実には複数の側面があり、一方だけを強調するのはよくないと言うのはほとんどの人が同じ意見だと思います。ただし、それは当事者が合意に至っていない場合だけであって、当事者間で合意に至った事実認識がある場合で、しかもそのことについて尋ねられた場合は、胸を張って事実を事実を主張するべきだともまた一方で強く思います。

私はこういった戦争関係のことを上手に話せるような英語の技術も歴史背景の知識もないので、実際にカナダ人と熱く議論したことはありません。それ以前に、こういうことが話題になるのがめんどくさい、かっこ悪い、みたいに思うし、もし実際に話をしてて気まずい雰囲気になったら、「人間関係まで台無しにしたくないから、お茶をにごしておきたいな」、と考えるだろうと思います。
でも事実関係だけはおさえておきたいと思って、いろいろ調べていました。まだまだ調査不足ですが、少し関連記事がたまってきていたので、ちょうど良い機会だと思って、少し勇気を出して書いてみることにします(この記事の中で事実誤認などに気づいた方はコメントお願いします)。
以下、基本的には「OBASAN」と「日系カナダ人の追放」という本をベースに書いてますが、ほとんどの内容はカナダ政府を含む公的機関のサイトでウラがとれますので、そういう場合はリンクをはっています。

まず「OBASAN」ですが、中公文庫から「失われた祖国」として日本語訳が出ています。
「失われた祖国」 中公文庫

著者のジョイコガワさんは2002年に来日して講演活動もしてたみたいです。






私がOBASANにたどりつくきっかけになったのは、バンクーバーのダウンタウンにある図書館の日本語コーナーでみかけたこの本でした。

「日系カナダ人の追放」


ぱらぱらとめくって見ると、日系人が第2次対戦中にカナダ政府から受けた行為に関する補償(redress)を求める運動の様子が書いてあります(「リドレス運動」と呼ばれることも多いようです)。
この日系人リドレス運動は、1988年にようやく解決され、カナダ政府が正式に謝罪し保証金が支払われました。このリドレス運動の盛り上げに貢献したのが、ジョイコガワのOBASANだったそうです。カナダが人種差別撤廃の機運にあった中で出版されたこの本が高い評価を受けた、その時ちょうど日系人リドレス運動が行われていてタイミングがばっちり会った結果、うまくメディアを巻き込むことが出来た、そういうことだったんだと思います。著者の鹿毛達雄氏自身はカナダ政府からの被害は受けていませんが、戦後バンクーバーに移住したのち実際にリドレス運動の主要メンバーとして活躍された方なので、本の内容も非常に説得力がありました。

「日系カナダ人の追放」で知って大きく感銘を受けたのは、リドレス運動の推進側が、他のマイノリティで同様に政府に苦しめられている人達にも手を差し伸べようと、「The Canadian Race Relations Foundation」(逐語訳するなら「カナダ人種関係基金」?)の設立を補償要求項目に入れていたことです。
「日系カナダ人の追放」に詳しいですが、カナダ政府公式サイトでも"Canadian Heritage"というサイトを設けていて多文化主義("Multiculturalism")に関して説明があり、「The Canadian Race Relations Foundation」の経緯について日系人リドレス運動との関連にも触れています。

このリドレス運動をきっかけに"Canadian Multiculturalism Act"が採択され、晴れて「人種差別のない、多文化容認の国をめざしましょう」みたいな方針が政府から正式に打ち出されたのでした。これも同じく1988年のことです。
カナダの特徴、良いところ、として、「マルチカルチャー」とか「多様性(diversity)」とかをよく耳にしますが、これは1988年に始まってまだ15年ほどしか経っていないということを知ったのでした。
当たり前だけど、1988年に生れた人は今は16歳。彼らは、この多文化主義の方針で教育を受けているはずです。当時25歳だった人は今は41歳。彼らは、現在の多文化主義の方針では教育を受けておらず、25歳の時に政府の方針転換を受け入れることになった、という計算になります。

リドレス運動関係で知った事実の中でショックだったのは、カナダが日系人に謝罪したのは、アメリカ政府がアメリカの日系人に謝罪をした翌年だった、ということです。これってアメリカの後追いなのでは。人種のモザイク、とか多様性(diversity)、アメリカみたいな差別国ではない、とか謡いながら、一方でカナダはアメリカの後塵を拝してきた一面も持っている。実際、第2次対戦中の日系カナダ人に対する強制執行のレベルは、アメリカでの日系アメリカ人に対するそれよりもひどかったということが、カナダ移民局による移民史の中で、"The plight of the Japanese Canadians"と題して紹介されています。同様の内容は、OBASANの中でも出てきます。
リドレス運動の中でOBASANが果たした役割は相当大きかったと想像しますが、アメリカ政府が下した日系アメリカ人に対する謝罪イベントの方が、カナダ政府を大きく動かしたのではないかとつい考えてしまいます。

「日系カナダ人の追放」を読んで、じゃあジョイコガワって誰なのよ、ということで、またバンクーバー図書館で彼女の本を探してみたら、OBASANがありました。
ちょうど隣に並んでたのが、子供向けに描かれた「Naomi's Road」という絵本でした。小説は長くて大変だけど絵本なら読みやすいかなと思ってめくってみると、前書きには、「カナディアンロッキーの道の一部はカナダ政府による日系人強制労働で作られた」みたいなことが書いてあって衝撃を受けました。「なんだ、日系カナダ人の歴史についてはぜんぜん知らなかった、もう少し知りたい。」と思って、OBASANに移ってきた次第です。

ちなみに、バンクーバーを中心に発行されてる「ふれいざー」というフリーの雑誌には、続編である「ITSUKA(いつか)」という小説の翻訳が連載されてます。ITSUKAは、OBASANの主人公ナカネ・ナオミがリドレス運動に関わる様子を描いているようです。

日系人の歴史でもう一つ大きなものが、1907年のバンクーバー日本人街襲撃事件です。日本人排斥運動はこの辺から根強く、真珠湾攻撃がよい口実となって一気に爆発したように思います。同じ年にカナダ政府は、日本からの移民に制限を加え、結婚する女性以外の移民は禁止しています。(→カナダ移民局移民史の関連記事
この移民局の公式移民史によると、カナダ政府は当時、日本に対してのみ移民の基準をコントロールしていました。

OBASANにもこの事件が出てきます。「1907年にも街が襲撃された。そしてまた今、財産を没収されて住まいも仕事も奪われた。私たちはカナダ人(Canadian)なのに、日系であるがためにどうしてこんな目にあうのか。」みたいなことが書いてました(←うろ覚えで書いてるので、正確に知りたい人はOBASANを読んでみてください)。

OBASANには、私の住むバンクーバー周辺の地名がたくさんでてきます。例えば、Hasiting Parkという公園が何度も出てきますが、ここにある家畜の畜舎が初期の強制収容所として使われたそうです。ここは現在はPNE(Pacific National Exhibition)という名前で、夏になると小さい遊園地や公開ミニ動物園が開かれる、地元ではちょっとした有名どころです。
OBASANによると、バンクーバー近郊のハイウェイには至るところに、"Japs Keep Out"という標識が掲げられてたそうです。この夏はときどき車で郊外にでかけることがありましたが、昔はあのハイウェイはこんな標識があったのか、なんて思うと衝撃でした。

なんかカナダの悪いことばっかりに聞こえますが、多少は良い面もあるみたい。
上智大学のこんな論文をみつけました。
「アメリカとカナダのリドレス運動の最大の違いは、カナダのリドレスがカナダの憲法および法律の改正を含んでいた点にある。」、と。

[その他ジョイ・コガワ著書]
 ●「ナオミの道―ある日系カナダ人少女の記録」 小学館 (英語の原書はこれ
 ●Itsuka

私も多くの人と同じで、カナダに来てしばらく経つまでは、このOBASANやジョイ・コガワについて一切知りませんでした。日本人で名前を聞いたことがあったのは、最初に来た日本人という意味で永野万蔵、あとは自然科学教育関係でよく本が出てるデビッド鈴木くらい。
彼も第2次大戦中の幼少期をdetention campですごした経験があるらしく、マイノリティの権利回復などに関する運動にも関わっているようです。カナダだと、インディアンが不遇の状況に置かれて久しいですが、そのインディアンの団体"First Nations"に関する支援や、日本だとアイヌ民族の運動を支援していたと何かで読んだことがあります。

日系カナダ人の歴史についての年表が Japanese Canadian National Museum のサイトに載ってるので、これも参考になるかも。

【その他ちょっと思ったこと】
OBASANを読んでいてRCMPとかのカナダ側の対応について「いかにもカナダ人らしいな」と思ったところのは、強制収容所への移送、強制労働、などは基本的に、日系人に「選択」させた、ということです。「ここで働くか働かないかはあなた自身が判断してください。でもご参考までに、そうしない場合は私たちはXXXなどの手段を講じないといけなくなりますよ。」とか、「収容所への移送を”希望”しない場合は、日本国へ強制送還になります。」みたいな。
なので、強制労働とかは表面的な歴史の記録としては日系人が自らの意思で自主的にやった(volunteerした)ことになっています。
これって、アメリカの黒船が日本にやって来て大砲ぶっぱなして開国させた結果が「通商条約」(仲良く貿易しましょうね)みたいな歴史の記録になるのと似ているような気がします。カナダ人の中には、日本が鎖国を開いたのを「貿易がしたかった」からだと信じている人が少なからずいます。
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by workincanada | 2004-11-22 07:47 | カナダ多文化主義の側面