バンクーバーでの仕事探し体験や教わった就活・職探しのコツ等、スキルワーカー移民のカナダ移住準備に役立つ情報を書き留めてます。


by workincanada

カナダ野球殿堂に見る日本人移民の歴史

こんなのを見つけました。

県人が支えた日系人野球 (Asahi.comマイタウン滋賀 3月19日)
03年6月、カナダ野球の殿堂に大正から昭和初期にかけて活躍した日系人野球チームの名が刻まれた。「バンクーバー・アサヒ」。白人選手に体格で劣りながら、イチローのような俊敏さで対抗し、現地の日系人の誇りだった。しかし、太平洋戦争の開戦によりチームは解散し、二度と復活することはなかった。伝説となったこのチームの設立に、滋賀県出身者が大きな役割を果たしたことはほとんど知られていない。




企画特集

[近江万国往来図]

移民編〈上〉県人が支えた日系人野球
バンクーバー・アサヒ

 近江商人と琵琶湖のアユは外に出て成長すると言われた。成功を夢見て海を渡った県人たちは、遠い異国で根を張り、異なる文化をつなぐ「架け橋」となった。知られざる移住者の姿から、その交流の今昔をたどります。
宮崎八重子さんの自宅で見つかった写真には、優勝旗を背にしたバンクーバー・アサヒの選手らが写っている。最後列の右端が伊八さん

 03年6月、カナダ野球の殿堂に大正から昭和初期にかけて活躍した日系人野球チームの名が刻まれた。「バンクーバー・アサヒ」。白人選手に体格で劣りながら、イチローのような俊敏さで対抗し、現地の日系人の誇りだった。しかし、太平洋戦争の開戦によりチームは解散し、二度と復活することはなかった。伝説となったこのチームの設立に、滋賀県出身者が大きな役割を果たしたことはほとんど知られていない。

●記念写真

 「先日倉庫の整理をしていたら、たまたま写真が出てきたんです」。カナダ西海岸のバンクーバーで生まれ、彦根市開出今町で暮らす宮崎八重子さん(71)の手に、セピア色になった四つ切りほどの写真があった。
 優勝旗の下で誇らしげに腕を組む「バンクーバー・アサヒ」の選手たちだった。後方には現地で洋服の仕立屋をしていた八重子さんの父、伊八さん(故人)の姿もあった。「野球好きの父がオーナーだったそうです。母は『店の仕事も残ってんのにユニホームや旗を徹夜で縫わされた』とこぼし、父は苦笑していました」と懐かしんだ。
 八重子さんによると、開出今の農家の出身だった伊八さんは約100年前、一獲千金を夢見て海を渡り、運送業などを経てバンクーバーのパウエル街で店を開いた。八重子さんが生まれたころは10人ほどの従業員を雇っていたという。
 最大2万人もの日系人が暮らし、「リトル・トーキョー」と呼ばれたパウエル街に、野球チームが設立されたのは1914年だった。「やんちゃな2世の少年たちに何か夢中になるものを、と商店主たちが支援して少年野球チームを作ったのが始まりでした」とアサヒについての著書があるパット・アダチさん(84)=トロント在住=は話す。
 彦根市の出身者5人が中心で、初代監督を伊八さんのおじの宮崎松次郎さんが務めた。選手の多くは商店や製材所などに勤めながら毎朝7時にグラウンドに集まり、猛練習をした。草創期には開出今がルーツの北川三兄弟が活躍。投手の長男・初次郎さんが山なりカーブで打ち取り、捕手の次男・由太郎さんは強肩が自慢だった。中堅の三男・英三郎さんは華麗な守備を誇った。

●収容所へ 
 「アサヒと言えばフェアプレー、スポーツマンシップ。どんな不公平な審判でも決して文句を言わなかった」と記録員だった菅清さん(82)=モントリオール在住=は胸を張る。当時はカナダ人チームの選手と平均で20センチ以上の身長差があり、パワーの違いは歴然としていたが、頭脳野球で対抗した。走者二、三塁でバントし、守備がまごつく間に一気に2人を生還させる得意のプレーで観衆をわかせた。
 29年の世界大恐慌、31年の満州事変を境にカナダ西部では次第に排日感情が高まりを見せたが、アサヒは地区リーグで37年から5年連続優勝する強豪チームとなり、果敢で潔いプレーぶりが多くのカナダ人からも支持された。35年には北米遠征でバンクーバーを訪れた東京巨人軍と練習試合をし、沢村栄治やスタルヒンとも対戦した。
 だが、41年12月に旧日本軍の真珠湾攻撃が起き、連合国側のカナダ政府はすべての日系人に対し、強制収容所への移動を命じ、財産を没収した。これに伴ってチームも翌年に解散した。
 収容所に持っていける荷物の量も制限されたが、「アサヒのユニホームやチームメートとの写真だけは、真っ先にスーツケースに入れました」と菅さん。チームはバラバラになったが、メンバーは各地の収容所で野球チームを作り、見張りのカナダ人と試合をしたこともあったという。
 終戦後も収容者たちはバンクーバーに帰ることは許されなかった。88年にカナダ政府が日系人に対し公式に謝罪し補償に乗り出したが、アサヒが再結成されることはなかった。

バンクーバー郊外にある日系博物館には、アサヒの選手たちのユニホームやグラブが展示されている

●殿堂入り
 解散から62年目の03年6月28日、オンタリオ州セント・メリーズにある「カナダ野球殿堂」でアサヒの殿堂入りの表彰式があった。体格差を克服し、地区の強豪として活躍したことに加え、野球を通じて地域と交流を深め、日系人への理解を促したことが評価されてのことだった。
 結成時から計約70人がプレーしたが、その多くが世を去り、菅さんを含めわずか5人が表彰式に参列した。その前夜祭、アサヒの名が呼ばれ、関係者約500人が一斉に立ち上がり拍手をした。往年の名選手の目に涙がにじんだ。
 今年4月28日には、チーム誕生の地、バンクーバーにあるブリティッシュコロンビア州スポーツ殿堂にアサヒが入ることが決まっている。同じ日、市内のホテルで開かれる表彰式に、菅さんらも参加する予定だ。
 「ようやく、ようやくその日が来る。バンクーバーで生まれたアサヒは、やっと故郷に帰れるのです」
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by workincanada | 2005-03-22 11:40 | カナダ多文化主義の側面